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小金井市あれこれ

小金井市の歴史

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 原始・古代

小金井市に人々が住み始めたのは、1万年以上前からであるといわれています。

 室町時代・戦国時代

中世には、現在の前原町南部付近は金井原(かないはら)と呼ばれており、小金井市という地名の由来とも考えられています。正平7年(1352年)には新田義貞の子義宗・義興と足利尊氏が、金井原から人見原(現・府中市)にかけて戦いを繰り広げました。

 江戸時代

江戸時代の小金井市は、幕府の天領(直轄地)となり、代官の支配下に置かれていました。承応3年(1654年)に玉川上水が完成し、享保年間(1716年~1736年)には武蔵野の台地に開墾の鍬(くわ)が入ることになりました。幕府の政策で盛んに新領開発が行われ、急速に集落が発達しました。武蔵野新田82ヶ村の新田開発には、名主の川崎平右衛門定孝が大きな功績を残しました。また、このころ玉川上水の西岸に桜が植えられ、江戸の人々の行楽の地となっていました。

 明治時代・大正時代

明治維新後の明治5年(1872年)、小金井市は、廃藩置県によって神奈川県に編入されました。そして、明治22年(1889年)の町村制の施行により、小金井村・貫井村・貫井新田・小金井新田・梶野新田・関野新田・十ヶ新田に、下染屋・押立・人見・本多新田・是政・上石原の飛地が合併し、現在の市域とほぼ同じ「小金井村」を発足させました。その4年後の明治26年(1893年)に神奈川県から東京府に編入されました。その後、明治34年(1901年)には、小金井市に生糸を生産する鴨下製糸工場ができました。これは小金井市の工場としては最も古い工場です。当時、小金井市を含む北多摩一帯は養蚕が盛んであったため、関東山麓製糸業地帯の一環として、製糸業に乗りだしました。

 昭和時代・平成時代

昭和12年(1937年)には町制を施行し、人口9,481人の小金井町となりました。戦後になると、住宅都市化が進み、昭和33年(1958年)に地方自治法の一部を改正する法律が公布・施行され、「市になる要件が人口5万人以上から3万人以上」に緩和されたことに伴い、同年、市制が施行され、人口約4万人の小金井市が誕生しました。その後は、東京のベッドタウンとして、多くの人々が移り住み、人口も急増する事になりました。現在では人口も11万人を超える町となり、安心して過ごせ、市民に「住んでよかったまち・住み続けたいまち」といわれるまちづくりを推進しています。

(小金井市資料提供)